講師プロフィール

板谷 潔 Kiyoshi Itaya

東京音楽大学卒。これまでにポーランド国立クラクフ室内管弦楽団、東京ニューシティ管弦楽団等と共演。ショパンコンクール in ASIAなどコンクール入賞多数。菊地麗子、野中正、石塚優紀の各氏に師事し、ピオトル・パレチニ、アダム・ハラシェヴィッチ、ダルトン・ボールドウィン、レナード・ホカンソン各氏等の指導を受ける。

セントビンセントへ青年海外協力隊員として派遣され総督邸にて演奏会を開催。その後アメリカ・バーモント州のピアノ教室ソナチネにて指導。帰国後もソロや共演ピアニストとしての演奏活動をしつつ、川越市及びさいたま市にてピアノ教室ぴぷらを主宰。スタインウェイ・エデュケーショナル・パートナー。→最近の演奏会一覧

川越のピアノ教室ぴぷら

川越のピアノ教室ぴぷら 生い立ち

小学五年ピアノを習い始める
近所の方が引越しの際にくれた足踏みオルガンに夢中になり、 「ピアノを習いたい」と母親に頼み込みました。野球もそろばんも全然長続きしませんでしたが、ピアノはまったく飽きませんでした。近所の方の紹介で、石塚優紀先生の下でピアノのレッスンを初め、半年後初めての発表会でプロコフィエフのタランテラを演奏。とても緊張した記憶があります。
中学一年吹奏楽部に入部し、トロンボーンを担当
各パートの役割や色々な楽器の音色に日々触れることで、ピアノの練習によい影響を及ぼしてくれました。今でも吹奏楽での経験が演奏のインスピレーションとなることがあります。
電子ピアノで練習
オルガンでの練習では強弱がうまくできず、同じ先生についていた生徒さんが弾かなくなった電子ピアノを譲り受け、練習の幅がとてもひろがりました。
中学二年初めてのピアノコンクール
暗譜が吹っ飛んでしまい、曲が止まって・・・見事落選(笑)。それまでは、生意気にも暗譜なんて簡単だと思い込んでいました。この失敗を機に暗譜には細心の注意を払うようになりました。 
高校一年埼玉県立久喜北陽高校総合学科入学
音楽高校への進学も考えましたが、まだまだレベルが追いつかずあきらめました。しかし幸運なことに、全国初の総合学科が地元に出来、そこなら音楽も学べることがわかり、受験しました。
アップライトピアノで練習
叔母が保母をしていた頃に弾いていたピアノを譲り受けました。電子ピアノでは表現できなかった音色の変化に没頭しました。
高校でも吹奏楽部に入部しトロンボーンを担当
ピアノと部活と勉強と…。それぞれのバランスを取るのにとても苦労しながらも、充実した高校生活を送りました。
高校二年コンクール、初めての入賞
埼玉ピアノコンクールで、1次予選→2次予選と通過し、念願の本選会で演奏し入賞を果たしました。入賞した喜びよりも、周りの入賞者さんたちの素晴らしさに感動させられた思い出があります。
ポーランド国立クラクフ室内管弦楽団(指揮:Roland Bader)と共演
人生ではじめてのオーケストラとの共演。オーケストラの迫力に自分のピアノも引っ張られ、まるで別人がピアノを弾いているかのような感覚がしました。演奏後はピアノとめぐり合えた幸せに気づかされ、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。
piano concerto
高校三年東京ニューシティー管弦楽団(指揮:宮寺 勇)と共演
高校の芸術鑑賞会で来校した東京ニューシティー管弦楽団と中原達彦の「ピアノと管弦楽の為のバラード」を演奏。背中を押してくれた高校の音楽の先生には今でも頭があがりません。
スタインウェイ
川越のピアノ教室ぴぷら
吹奏楽部と共演
3年間続けた部活の最後のコンサートで、吹奏楽部とベートーヴェンの「皇帝」を演奏しました。気心のしれた部活の仲間達と最後にピアノも演奏できたことは、今でも忘れる事のできない思い出です。
大学受験
部活を夏に引退してからは、まさにピアノ漬けの日々でした。部活に費やしていた時間はもちろん、食事する時間ももったいないと感じるほど必死に練習をした覚えがあります。叔母さんからもらったピアノの弦を何十本と切ってしまい、調律師の方にもたくさんお世話になりました。たくさんの人に支えられてなんとか受験を乗り越え、無事に合格を知った時には飛び上がって喜びました。
大学一年東京音楽大学器楽専攻(ピアノ)入学
今までの環境と違い、まわりは音楽を専門的に学んでいる友達ばかり。心地よい刺激をうけながら、大学生活をスタートさせました。大学では菊地麗子先生と野中正先生のご指導の下、ピアノの練習に没頭しました。
Bostonピアノとの出会い
大学に入りレッスンが本格的になると、どうしてもアップライトピアノでは練習できない箇所が出てきて練習が行き詰るようになりました。親に頼み込んでグランドピアノを買うことに。色々なピアノメーカーを試弾して歩き、今持っているBostonピアノに出会いました。今でもとっても大切な楽器です。
大学二年第1回ショパン国際ピアノコンクール in ASIA 優秀賞受賞
大学の教授の勧めでコンクールを受けることに。ポーランドのショパンコンクールで有名なピアニストも審査員にたくさんいる中で、今までになく深くショパンを研究しました。課題曲も多く大学受験以上に厳しいレッスンでしたが、ショパンに接したこの1年は今の演奏活動の大きな礎となっています。
大学三年スランプ・・・
3年になったとたんに、ピアノがまったく手につかなくなってしまいました。何時間ももっていた集中力も1時間もしないうちに切れてしまい、毎週のレッスンに持っていく曲も決められないまま、相談しにレッスン室へ通っていた感じです。そんな時に先生が下さったアドバイスは、「いい音楽をたくさん聴け」ということでした。それまで練習に必死だったせいか、コンサートへ出掛けることがほとんどなく、自分の音楽ばかり追求してりましたが、他の人が創る音楽を聴くことによって、また視野が広がりました。この年に仕上がった曲は定期試験の曲だけという状態でしたが、今となってみれば色々な方向性を考えた、大切な年だったように思います。
大学四年 卒業演奏会出演
まわりの人々に助けられなんとかスランプから脱出。卒業試験では運良く卒業演奏会への出演権を得ました。無事に東京音楽大学を卒業。
二四歳吹奏集団「風の和」(指揮:鈴木 純也)と共演
ガーシュウィンのラプソディー・イン・ブルーを演奏しました。卒業してからは社会人として働くことに必死でしばらく舞台で演奏できてなかったので、本番は緊張との戦いでした。仕事と演奏の両立の難しさを教えてくれた演奏会でもあります。
青年海外協力隊参加

カリブ海に浮かぶ島国、セントビンセント及びグレナディン諸島国(St.Vincent and the Grenadines)へ、中学校の音楽教師として派遣されました。現地では、学校での授業だけでなく、放課後にピアノの個人レッスンをしたり、コンサートを開いたりして、現地の人により音楽に親しんでもらえるよう活動していました。
二六歳アメリカ・バーモント州のピアノ教室にて講師

毎年夏に開かれているピアノキャンプ「ソナチネ」に講師として呼んで頂きました。2週間、生徒さんと共に泊り込みでピアノ中心の生活をしながら、日中は5人の個人レッスンをやり、夜は公開レッスンの開催という毎日で、音楽にまっすぐ向き合うアメリカの生徒さんに、色々なヒントをもらいました。現在でも数年に一度、ぴぷらの生徒さんを連れてピアノキャンプに参加しています。
二七歳埼玉県内の公立高校にて音楽を教える
週18コマの授業と吹奏楽部の顧問をしていました。病休に入られた前任の先生から引き継いで赴任した時は音楽の授業が崩壊状態で、正直、協力隊で教えていた時よりも大変でした(笑)校歌も歌えない生徒達にはじめは戸惑いましたが、一緒に音楽で遊ぶうちに、同じ生徒とは思えないくらいすばらしい声で合唱を聴かせてくれるようになり、何度も涙した覚えがあります。
二九歳ぴぷら 開設 
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